飲みたいけれど、やめてみた。その先にあったもの

牛乳をやめてみて、感じたこと

あの日、私は牛乳をやめた。

それは、ただの食べ物を放棄するような小さな決断ではなかった。

心の奥で静かに続いていた習慣を手放すこと、それは、

何かを変える一歩、何かを新たに迎えるための始まりのような気がした。

牛乳を手に取ることは、

私にとって単なる飲み物を摂取すること以上の意味があった。

その白い液体に込められたのは、

温かさ、安心感、そして何よりも「家」への帰属感だったのかもしれない。

心が寒いとき、

体が疲れたとき、

ただそれを一口飲むことで、

私は少しだけ、安堵の息をついていた。

でも、それをやめるということは、

自分の内面を改めて見つめ直すことだった。

何が本当に必要なのか。

何が私を満たし、何が心の中で過剰になっていたのか。

牛乳の白さに包まれているとき、

私は無意識のうちに、

それに依存していたのだということに気づいた。

やめてみると、最初は不安だった。

あの温かさがない生活は、どこか物足りなく感じた。

毎朝、何気なく手にしていたその一杯が、

今はどこか遠く、

手が届かない場所に感じる。

けれど、時間が過ぎると、

その不安はだんだんと消え、

心の中の空白が、新しいもので満たされていった。

私が求めていたのは、

実は牛乳そのものではなく、その先にある「安心感」だった。

その白さに包まれていた瞬間を、

私は必要としていたのではなく、

それがもたらす感覚こそが、

心を癒し、力をくれていたのだと知った。

そして、手放してみたことで、

私は少しずつ自由になった。

もともと無意識に抱えていた依存から解き放たれ、

私は新しい選択肢を見つけることができた。

アーモンドやオーツ、

その穏やかな味わいが、

今の私にぴったりだと思えるようになった。

でも、忘れない。

牛乳が私に教えてくれたこと。

好きだという感情、

慣れ親しんだ味、

それに包まれていた安心感は、

単なる飲み物以上のものだったこと。

あの白さは、私の一部として、

今も心の中に残っている。

牛乳をやめてみて、

私は新しい道を歩き始めた。

でも、それはただの放棄ではなく、

私がもっと自由に、

もっと深く自分と向き合うための一歩だった。

その一歩を踏み出したことで、

私はどこかで少しだけ強くなれた気がする。

そして、これからも

あの白い液体を恋しく思うことがあれば、

また手に取るだろう。

でも、今はもうそれに依存することなく、

自分の中で必要なものを選び取る自由がある。

牛乳をやめることで、

私は少しだけ、強く、自由になれたのだと思う。

それでも、

牛乳は好きだ。

そして、その思いもまた、

私を形作る一部であり続けるのだろう。

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